50歳以上の方限定のユニークな劇団活動を紹介します。現在は星組、銀宴、空いろの3劇団で活動しています。それぞれタイプの違う練習を行い、個性ある公演活動を行っています。
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やりたいことならやれる。

10月19日 銀宴 担当:梶川

 

役者が舞台に立つにあたって何をするのかという話題を村上クラスと銀宴の記事で続けていますが。

話が少しややこしくなってきたので、一度整理及びまとめをして一区切りつけようかと思います。

まず役者の事前準備については、いろいろ想像して考えることは有用。

ただそれに縛られて舞台に立って不自由になるくらいなら忘れて目の前のことに反応していく。

反応するとしてできるだけたくさんのパターンを用意する。

パターンを広げるために思い込みを外していろいろやる。

難しいことではなくシンプルなことからやってみる。

 

こんなところで、あらたに整理すべきはやれることとやれないことの線引がどこにあるのか。

ポイントはその表現が見えるものか、聞こえるものか。

つまりどんなに事前に役の設定や背景やその時の感情を考えても、それが舞台上で見えるもの、聞こえるものにならない限りはないのと一緒になってしまいます。

だからと言って、見えるもの、聞こえるものにしようと、やる前にこう動いてここで止まってこんな表情でこれくらいの声の大きさでと決めて演じても相手とのやりとりや場の雰囲気にあっていなければ演技の説得力がなくなります。

では何を持って舞台に臨むのか。

唯一の武器は役柄の目的(村上クラスでは緊急性と名付けました)ではないでしょうか

 

 

 

 

 

言い方を少し変えます。

役柄の背景や感情を考えるという作業は原因を考える思考です。

目的は今や未来に向かう思考ではないでしょうか。

話はそれますが、アドラー心理学というのは原因論ではなく目的論で考える心理学です。

「嫌われる勇気」という本で有名になりましたが。

著者の岸見一郎さんがネットに掲載していた文章を引用します。

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たとえば、「怒る」という感情は目的があって作り出されたもので、何かの原因によるものではありません。猛烈に子供を叱っている母親は、その行為で子供を屈服させたいという目的があって怒っているのです。子供が不始末をしでかしたという原因で怒っているのではありません。

その証拠に、叱っている母親が、担任の先生からの電話を受けた瞬間、急に上機嫌な声で受話器に話しかけた様子を覚えている人も多いでしょう。つまり、母親は感情に支配されてはいなかったのです。

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感情が目的によって作られているというところがポイントかと思われます。

つまりは事前に脚本を読んで感情を準備しなくても、目的を持って舞台に上がれば、その目的によって感情を作り出すことが可能だと私は考えます。

 

翻って、銀宴で稽古に使っている脚本にもわかりやすく役柄の目的が書かれています。

母の法事に集まった母の女友達たちと会話する息子。

その息子はその女友達の一人と付き合っている。

そんな息子に対して結婚しないのと話を向ける、何も知らないほかの女友達。

そこに父も帰ってきて息子の結婚相手がいないかと相談。

たとえば息子は女友達と付き合っていることを伝えたい。

その女友達は隠しておきたい。

ほかの女友達たちは息子の恋愛事情を聞き出したい。

父は息子を結婚させたい。

それぞれの役柄たちの目的のずれ具合で物語のおかしみが作られています。

しかし、脚本のト書きでお茶を飲みながら会話が進むとあります。

つまり茶飲み話程度のやり取りとしてくださいと、目的のある会話としては書かれていませんよと。

田辺さんの演出で、そこでお鈴を鳴らしましょうかというのがありました。

それはとても意図的におかしみを作り出そうとしてのことでしたが。

なぜそこでお鈴を鳴らすことが面白いかと言えば、目的のない会話の中でそれぞれの目的が透けて見え始め、どちらかというと目的が強く前に出てきたなというところで、お鈴を鳴らすことで別の目的を浮かび上がらせたからではないでしょうか。

つまりそれは全員に共通した目的で母を弔うということ。

 

目的を言い換えるなら「やりたいこと」となります。

話が戻ってきました。

やれることとやれないことの整理というところから始まりました。

その答えは「やりたいことならやれる」ではないでしょうか。

やりたいことなら、見えるもの聞こえるものとして表現できそうです。

やりたいことなら、そのままに自由に動けます。

役者のやりたいことと役柄のやりたいことが一緒でと幸せです。

つまりはその演技が役者のやりたいことで果たして本当に役柄のやりたいことかというのが問題になります。

事前に考えることの方向を間違えると役柄のやりたいことから視線が外れていくのではないかという問題意識があります。

やりたいことをやるというのは同時に責任は自分が持つということでもあります。

このやりたいというモチベーションに対しては演出も脚本も口出しのできない役者の領域だと思うのです。

動かされるのではなく動きたくて動く。

喋らされるのではなく喋りたくて喋る。

昨今、この「やりたい事」をみつけるとか「やる気を起こす」というのが何だか難しいように感じるのは私だけでしょうか。

「やりたい」を生み出す役者の役割、なんだか日常生活でも有用な気がします。

 

 

Posted by : アトリエ劇研シニア劇団 | 銀宴 | 19:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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